「てつがくカフェ@せんだい」は、この度、せんだいメディアテークさんと共催で「考えるテーブル てつがくカフェ」を開催することになりました。
「考えるテーブル」とは、「人が集い、語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場」です。
詳細は、smt「考えるテーブル」HPをご覧ください。
テーマ:〈ふるさと〉を失う?
日時:2012年1月22日(日曜日) 16:00〜18:00
ファシリテータ:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
場所:せんだいメディアテーク(smt)1F オープンスクエア
参加費:無料(ドリンクは隣のクレプスキュール・カフェで購入できます。)
事前申し込み:不要(直接会場にお越しください)
問い合わせ先:E-mail tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村まで)
主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
〈ふるさと〉を問い直す〜〈復興〉のために
「故郷を失うことのつらさ」、「重さ」…。
福島第一原発放射能漏れ事故によって「計画的避難区域」に指定された地域の報道のなかには、決まってこのような 「故郷を失うこと」に対する避難住民の悲痛な言葉を見出すことができます。 もちろん、そういった言葉は津波被災地でも耳にします。
「どれだけ危険だとわかっていても、このまま自分の故郷で暮らし、そこで死にたい」。
この言葉は、この度の震災で甚大な被害を受けた宮城県の貞山運河の復興に関連したワークショップに参加した際に、 沿岸部で被災された参加者の方が語ってくださったものです。 この言葉からも容易に感じとれるように、私たちは〈ふるさと〉といったものに格段の思い入れをいだきます。 しかしながら、漠然としたイメージは持っているにしても、私たちはこの〈ふるさと〉といったものがいったい何を指し示し ているのかを意外に説明できません。危険を承知の上でもそこに住み続けたいとまで私たちに言わしめる〈ふるさと〉とはいったい何なのでしょうか。それは、単に「自分の生まれ育った場所」というだけの意味なのでしょうか。 逆に、わたしたちは「自分の生まれ育った場所」でしか自分の〈ふるさと〉を築けないものなのでしょうか?
よく、国内や海外に旅行に行って初めて出会う風景に妙な懐かしさを覚えることがあります。 過酷な環境のなかでも逞しく生きている人々の姿に妙な懐かしさを覚え、そのなかに自分の故郷を感じ取ることも少なくありません。 そこには、「自分の生まれ育った場所」という要素以外に、なにか〈ふるさと〉と呼びうる、つまりは〈ふるさと〉というものをかたちづくる 普遍的な要素があるような気がしてなりません。
ここのところ、東日本大震災復興構想会議による復興計画案(『復興への提言〜悲惨の中の希望〜』)にはじまり、 さまざまな復興のヴィジョンが取り纏められつつあります。 それらのなかには、「コミュニティの再生のため」に「地域のこころである文化財」の「修理」や「修復」、 さらには「祭り」の重要性などが指摘され、〈ふるさと〉の意味を問い直すためのキーワードが盛り込まれています。 しかしながら、より血の通った復興のヴィジョンを描くためには、仮に遠回りであったとしても、そもそも私たちにとって 〈ふるさと〉とは何なのかといった遡行的な問いかけが欠かせないように思えます。
今回の「考えるテーブル てつがくカフェ」では、皆さんとともに丁寧に対話を重ねていきながら、 あらためて〈ふるさと〉の意味やその構成要素などについて考えを巡らせてみたいと思います。